昔の寝具1 布団のない時代

布団がない時代は、どうやって人々は寝ていたのだろう。暖を取っていたのだろう。
弥生時代は、ベッドがあったようだ。ベッドは地表の冷たさを軽減し、雨水が侵入してきても濡れずに済み、ムカデや蛇や虫よけにもなってくれる代物で、中国から伝わってきた文化だ。しかし、高床式住居が広まり、廃れてしまった。住まい自体が、ベッドになってしまったためである。

平安時代は、藁等を編んだむしろを重ねて「畳」と呼び、そこに絹や毛皮などを敷き、絹等の布や身に着けていた着物を上にかけて寝ていたようだ。

(余談だが、冬の上流階級の人々は、手持ちの衣類や毛皮を重ねられるだけ重ね、さらに真綿をその中に仕込んでいた。それでは動きにくそうだが、彼らは基本的に動かないのだ、普段はさほど。真冬の室内では火鉢のようなものを並べ、とにかく温めていたため、あのような開放的で風通しの良い住まいで良かったようだ。住まいが夏、恰好が冬なのだ。びゅうびゅうと通り抜けていく風を遮るために、装飾も美しい屏風や衝立が存在していたのだ)

安土桃山時代には、襟や袖の付いた分厚い寝具「夜着」が登場した。
武士が夜に見張り番をするため、羽織ることのできる寝具が必要になったためだ。昼間、身に着けている着物に真綿を薄く入れた、現在でいうところの「はんてん」や「どてら」のようなものだ。寒い地方だと布団のように分厚い夜着があったらしい。

しかし、これらは上流社会の寝具であり、一般庶民には高級品である。有名な戦国武将の寝具が、この夜着と畳だったのだ。これに、庶民には手が出せない。

(ちなみに真綿とは、絹となる蚕の繭だ。昔は絹より綿のほうが高級だったのか? いいや違う。絹は江戸時代半ばまで中国からの輸入品で高級品。日本は、蚕から真綿はとれても絹へと加工する技術がなかったのだ。材料はあるのに。さらに木綿も、輸入品だ。これは、木綿自体が日本でなかなか育てられなかったためだ。また、貴重な木綿は糸や布地として利用されていたため、綿=真綿だった)

一方の庶民はどうしていたかというと、畳すらない床板の上(もしくは土間)にわらを敷いて寝ていた。寒さが厳しい時期はわらに潜って寝ていた。
身に着けていた着物を上からかけて、裸で眠っていたとも言われている。上流階級のように「寒かったら厚着するだけして、ガンガン温めれば良い」というものではない。暖を取るにはそれだけ燃やすものが必要になる。

畳と「夜着」が一般庶民にも広まったのは、江戸時代だ。それすら、豪農と呼ばれるような大きな家に限られたのかもしれない。また、畳と夜着があっても寒さが厳しいときは、わら山に潜っていたか、囲炉裏を囲って火が消えないよう番をしながら眠っていたのだろう。
このような事情も含め、一般庶民の住まいは窓が小さく、壁が分厚い冬を意識した家屋が多かったのではないだろうか。