昔の寝具2 布団の登場から現代まで

戦国時代末期に木綿の栽培に成功し、江戸幕府の産業振興策の一つである綿花栽培に後押しされる形で、敷布団は一般庶民へと広がっていった。とはいえ「3枚100両」という高級品である。1両13万だとすると1枚がおよそ433万円……とてつもなく高価であることがうかがえる。
(布団は、盗まれることもあった高級品である。また、花街では花魁への貢物となり、それがランクになっていた。笑点の座布団のように重ねれば重ねるほどランクが高かったのだ)
その敷布団と夜着で寝ることが、上流の武家や、豪商たちを中心とした江戸の標準であった。

敷布団が江戸時代半ばに広がり始めたといっても、農村の暮らしまで浸透し始めるのはずいぶん後……明治時代に入ってからであった。日本が木綿の輸出産業世界一となったころまで、人々の寝具はそう変化がなかったのだ。
(ちなみに、布団は近代に入って普及し、押し入れもそのころに広まった。万年床では布団にカビが生えるため、毎日上げ下げし、しまう場所が必要であったためだ。それまで存在しなかっただなんて、意外の一言に尽きる)
掛布団は幕末ごろから広がり始めたが、やはり高級品だった布団が庶民の生活用品にまでなるのは、昭和初期ほどまでかかっている。

そして、寝具の変化が、住まいにも変化を与えた。
寒さを凌ぐことが可能になって、夏の暑さへもやっと目を向け始めたのだ。江戸時代以降、日本の住まいは上流階級のような開放的なものへと変化していく。開口部を大きくし、障子で光を多く取り入れ、風通しも良くなった。現代の古民家と呼ばれる建物のように、田の字型で内部を仕切る建物だ。ふすまの仕切りを取り払うと大きな一間になる造りは、昔の上流階級の家屋を思わせる。古き良き日本のぐるりと囲った縁側のある、明るく開放的な住まいへと変わっていったのだ。

安定した江戸時代に庶民の生活は大きく向上した。寒さを凌ぐ、ということは、生活するうえで大変重要なことなのだ。
(江戸や京都、大阪などの都では、大きな開口部は当たり前だったのかもしれないが、彼らの場合「住まい」であり「職場」や「店」でもあったため、また事情は異なってくる)