昔の住まいは防寒仕様?

日本の建物を思い返すと、浮かぶものは城や神社、寺等の「建築物」や、寝殿造りや書院造と呼ばれる開放的な建物かもしれない。天井が高く、広々としたイメージのあれらや街の住まいではなく、一般庶民の生活や住まいに注目したい。

農家等は、江戸時代以前は重要文化財の「箱木千年家」のような、開口部のほとんどない小屋が主流だったはずだ。上流階級の住まいとは真逆の、竪穴式住居に分厚い土壁が付くように発展した建物である。小屋の中は暗く、上流階級の住まいにある開放感はまるでない。
夏ではなく、冬を見据えての造りなのだと聞いて「なるほどなぁ」と納得したことがある。外からの冷気や風を防いだ結果、こうなのだ。

江戸時代に入るまでは、土間に囲炉裏を作り、床にむしろ(ござ等)を敷き、屋根は分厚いかやぶき屋根が一般的だった。長い間、一般庶民の住まいに大きな変化はなかったのだろう。畳さえ、武将等の有力者以外はさほど使用されていなかったのだ。(平安時代等でも畳はあったが基本的に座布団や寝具扱いで、室内一面に敷き詰めるタイプではなかった)

そもそも、寒さに備えること自体が大変なことだった時代である。温暖化が叫ばれる現代以上に冬の寒さは厳しかっただろう。冬は日の光など二の次で窓を板で塞ぎ、隙間をなくし、藁の山に潜っていたか。火鉢や囲炉裏で暖を取りながら、周りの床にむしろを敷き、着る物を羽織るだけ羽織って寒い時期を凌いでいたのだ。(上流階級の人々がどう過ごしていたかは次のページへ)

夏の暑さより冬の寒さのほうが深刻だったのは、現代ならば当然のように使用している「布団」がなかったことも原因の一つだろう。木綿の栽培ができるようになったのは戦国時代後半からである。(それまでは中国から輸入していた。高級品だったのだ。)

信じられないことだが、「布団」は江戸時代に「敷布団」が出てくるまで存在しなかったのだから。
また、掘りごたつや湯たんぽも江戸時代以降に広まったものだ。江戸時代に入るまで、庶民の生活は現在では想像できないほど厳しいものだった。冬に凍死する者も多かったのだ。